【体験談】日本はスラム街の子たちを特別視しすぎている

グローバル社会と言われているものの、真に国際理解に至っていない日本の現状。ハーフやクォーターの「困った」を募集する本企画です。

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今回話を伺ったのは、日本とフィリピンのハーフであるCさん(20歳・女性)。彼女の母語は日本語とタガログ語です。日本語は堪能で、タガログ語は聞き取りができる程度だとのことです。
彼女の家庭は、国際結婚でありがちな「価値観の不一致」により離婚。母方について行き、再婚相手の父と、彼が連れてきた姉とで生活をしています。「家族といると落ち着く」と言う彼女の言葉からは、幸せな家庭生活が伺えました。



「母方がフィリピン人なんですけれど、母方の両親に会うために、帰国することがあるんですね。そこで、当たり前に見ていた景色が、日本だとちょっと違和感があるんだろうなって言うのに、高校生くらいになってから気づき始めました」

具体的にはどのようなことですか? 

「そうですね。本当にわかりやすい例を挙げると、あっちに行くと、物乞いをする子って、当たり前のようにどこにでもいるんですよね。でも、小さい頃から見てきたから、スラム街とかに行っても、苦しいようには見えなかったし、彼らなりに楽しそうにしているように見えていたんです。そういう子たちがいるのは当たり前で、毎年のように見てたから、見慣れてしまっていたんですよね。日本でフィリピンに関する課題が出た際に、フィリピンについて調べると、スラムの問題ばかり出てきて、びっくりしました」

フィリピンと日本でギャップがあるということでしょうか? 

「どうなんですかね。でも、フィリピンにとっては当たり前な光景だと思うんです。『あー、あれ、当たり前だったけれど、意外と日本では騒がれているんだ……』っていうのが感じた感想でした。日本では、『スラムにいる子はかわいそう』みたいなことがすごく言われているんですけれど、『私が見ていた時は、すごく楽しそうだったんだけれどな……』と思ったんですよね。そんな感じで、ギャップを自分の中で思い出して、照らし合わせて行った時に、『当たり前に見えていたけれど、日本から見たら、実は当たり前じゃなかったのかも』と気づきました」

スラム街の子達にとって、その生活が当たり前だから、その生活を楽しんでいた? 

「多分そうですね。普通に笑顔で。一緒に遊ぶこととか何回もありました。むしろ、フィリピンの子たちって、すごくアクティブに外で遊んだりしているし、別にスラム街の子に話しかけても、あまり自分との違いを感じなかったんですよね。だから、日本で『特別扱い』されていることに、自分の中では違和感があります。それって日本の価値観の押し付けなんじゃないの?って。なんか、彼らは自分の生活をきちんと全うしているのに、外部から茶々を入れることで、差別みたいに感じるんですよね」



この違和感を元に、彼女はフィリピンバナナの貿易、流通に関する研究などを行っています。自分の中で当たり前と思っていたものが違うという体験を繰り返し続けていると語ってくれました。

外部が感じている課題と、当事者たちが感じている課題が、全く別のところにあるケースも多そうですね。課題解決支援をする際には、当事者の言葉も汲み取っていく必要がありそうです。

(神崎なつめ/ライター)

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