【体験談】先生の計らいでイラン文化を紹介できて良かった


グローバル社会と言われているものの、真に国際理解に至っていない日本の現状。ハーフやクォーターの「良かった」を募集する本企画です。

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今回話を伺ったのは、日本とイランのハーフであるKさん(20歳・女性)。彼女は日本語が堪能ですが、ペルシャ語はあまり話せないと言います。小さい頃は現地で生活していたこともあり、ある程度話すことができましたが、日本に来て忘れてしまったそうです。
彼女は小学校の1年間をイランで過ごしたため、入学式はイランで行いました。しかし、小学一年生の3学期、冬の時期に日本に帰国し、公立の小学校へ編入したそうです。そして、小学校二年生に上がった時、日本に寄稿してまもない彼女のために、当時の担任の先生が行ったことというのが……

「授業を一コマ使って「異文化交流会」のようなことをしてくれました。内容は、イランと日本の小学校生活の違いです。例として、小学校からずっと男女別学であることや、制服が存在し女の子はヒジャブを被ることが義務付けられていること、礼拝堂があること、イスラム教の授業が必修などを話しました。
また、ペルシャ語での日常会話のフレーズや、自分がイランの小学校で体験したエピソードなどもお話ししましたね。断食や服装についてなど、最終的にはイランの文化にも踏み込みました。教室でみんなの前に立って、イランの小学校で使った教科書や写真を資料にして、一人でプレゼンした感じです」

異文化理解の活動は、授業の一コマに止まりませんでした……

「その日一日、私がプレゼンしたものをずっと黒板に貼ったままにしておいて、給食での「いただきます」は全員でペルシャ語で言ったりということを、先生が提案してくれました。
授業の終わりか帰りのホームルームで、先生が、自分が学生時代に留学したとき、現地で「イエロー」と呼ばれたり…という、自身が経験した人種差別の話をしていた記憶があります」

そんな当時のことをKさんは振り返って、率直に感じたことを話し始めました。

「当時を振り返ると、自分が体験したことをみんなが興味を持って聴いてくれて嬉しかったし、みんなの前で自分の話をするのが楽しかったという明るい記憶が残っています。自分と自分のルーツに自信が持てたし、多くの人が自分を受け入れてくれた、という成功体験のひとつとして自分に刻まれたと思います。
今、大人になって考えてみると、帰国したてで色々戸惑っている私に対する、担任の先生なりの配慮だったと思います。もう少し深読みすると、人種意識が比較的薄い日本の文化と日本の教育に対して、担任の先生が疑問を抱いていたからこそ、このような行動を取ったのかもしれません」

しかし、この方法は誰にでも向いているわけではないため、実施しようとする先生に注意してほしいこともあると言います。

「私は当時から大勢の人の前で話すことが好きで、かつ得意な生徒でしたから、クラスのみんなの前でたった一人でプレゼンするという方法は非常に合っていたと感じますし、担任の先生もそれを見抜いていたから実行させたのだと思います。
ただ、この方法が全ての帰国子女の生徒に通用するとは、私は思っていません。一歩間違えれば、深刻ないじめにつながる可能性を孕んだ、諸刃の剣のような方法です。私はその授業以降に文化の違いなどでいじめられた記憶はありませんけれど、今思えば非常にラッキーなことだったと感じています」

Kさんは先生の計らいによって、目立つ容姿である上に編入だったにも関わらず、クラスに馴染むことができました。また、ルーツに自信を持てたようです。
今回の例のように、国際理解教育は当事者の言葉で語られた方が進みそうですよね。しかし、当事者の適性に応じて扱い方に注意しないと、学校へ居辛さを感じさせてしまう危険性もあるように思います。

(カザイイ優利/ライター 神崎なつめ/編集)

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